近江史を歩くのヘッダー
近江史を歩く
トップ
biwap
近江史を歩く 1
近江史を歩く 2
近江史を歩く 3
近江史を歩く 2
26.朝鮮人街道(野洲〜彦根)
27.消えた銅鐸の謎(野洲市大岩山)
28.和中散本舗(栗東市六地蔵)
29.雨森芳洲と誠信外交(長浜市高月町雨森)
30.聖武、その夢の跡(甲賀市信楽町)
31.石塔寺石塔のルーツ(東近江市石塔町)
32.百済滅亡と鬼室集斯(日野町小野)
33.天智天皇と大津遷都(大津市錦織遺跡)
34.鉄砲伝来と国友村(長浜市国友町)
35.石山寺と平安女流文学(大津市石山寺)
36.治水の先覚者藤本太郎兵衛(高島市新旭町)
37.青い目の近江商人(近江八幡市)
38.近江の芭蕉(大津市義仲寺)
39.安羅伽耶の里(草津市安羅神社)
40.継体天皇の誕生(高島市)
41.湖北の古代豪族息長氏(米原市)
42.中世の自治村落「惣」(長浜市菅浦)
43.花の生涯・井伊直弼(彦根市)
44.京極氏は清滝にかえる(米原市)
45.湖北己高山と観音の里(長浜市)
46.近江古都幻想(草津市)
47.秀吉の五奉行・長束正家(甲賀市水口城)
48.邪馬台国近江説(守山市伊勢遺跡)
49.六角氏と観音寺城(近江八幡市安土町)
50.最澄と比叡山(大津市坂本)
50.最澄と比叡山(大津市坂本)
803年、唐へ向かった4隻の遣唐使船は嵐に遭い離れ離れになる。1隻目は、無事長安へ。2隻目は、福州へ難破した後、長安へ。3・4隻目は、暴風雨で沈没。1隻目に乗っていたのが最澄。大学教授クラスの待遇。2隻目には空海。名もなき留学僧というところか。唐に着いた最澄は、仏教の総合大学ともいうべき天台の教えを学び、1年後に膨大な経典を持ち帰る。一方、空海は狙いを密教一本に絞り3年後に帰国。新しい時代の新しい仏教がこの二人の天才によってもたらされた。
坂本にある生源寺。最澄の誕生寺である。近江国分寺に入り14歳で得度。しかし、奈良旧仏教への強い反発から一人比叡山に入る。孤独な隠遁者に思いがけない幸運が訪れたのは、桓武天皇との出会いだった。「百済王等は朕が外戚なり」。渡来系氏族の力をバックに平安京に都を定めた桓武天皇。最澄もまた近江の渡来人系氏族・三津首(ミツノオビト)の出身であった。新しい時代を切り拓くべく、最澄は唐へ向かった。巨大な理論体系を持った天台、禅、戒律、密教などを学び帰国する。そして、旧仏教徒との果敢な論戦が始まる。
最澄はすべての人間には本来具わっている大切な宝物「仏性」があるとした。それを引き出し磨き上げ、「一隅を照らす」人間を育てていくこと。それこそ自らの使命と考えた最澄は、新たに大乗戒壇の設立を訴えた。比叡山は、平安京の東北すなわち鬼門にあたる。そこに王城鎮護の寺を開いた。大乗戒壇の設立が許されるのは最澄の死後になる。延暦7年(788年)に開創された一乗止観院は、最澄死後その年号を取り「延暦寺」という寺号が与えられた。天台法華の他、密教・禅・念仏も行なわれ、仏教の総合大学の様相を呈したのがこの比叡山延暦寺。ここから、円仁・円珍・良忍などの名僧、浄土宗の法然・浄土真宗の親鸞・臨済宗の栄西・曹洞宗の道元・法華宗の日蓮など新仏教の開祖たちが巣立っていった。1994年、古都京都の文化財としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ページ先頭へ
前へ
次へ
ページ末尾へ