近江史を歩く

41.湖北の古代豪族息長氏(米原市)



 
 米原市朝妻筑摩にある筑摩神社。5月3日には、日本三大奇祭の一つとされる鍋冠(ナベカブリ)祭が行われる。鍋・釜は、鋳造や鍛造の技術に携わった古代渡来系技術者の存在を想像させる。この近江国坂田郡を根拠地とした古代豪族が息長(オキナガ)氏である。天野川流域には、5世紀末〜6世紀後半の息長古墳群がある。この地は東山道・北陸道の要衝であり、琵琶湖交通の拠点である朝妻港を持っていた。鉄生産、息長水軍の根拠地でもある。


 
 息長氏の先祖は開化天皇の皇子「日子坐(ヒコイマス)王」とされる。息長氏には、新羅から渡来したという天日槍(アメノヒボコ)伝承が結び付けられる。天日槍から数えて4代目・多遅摩比多訶(タジマヒタカ)の娘が息長宿禰王(オキナガスクネオウ)と結婚し生まれたのが息長帯比売(オキナガタラシヒメ)。神功皇后である。米原市能登瀬にある山津照(ヤマツテル)神社は、神功皇后の出陣・凱旋時に訪れたゆかりの神社とされる。しかし、皇国史観に利用された「神功皇后の三韓征伐」の真相は不明である。神社の境内に山津照神社古墳がある。神功皇后の父・息長宿禰王の墳墓と伝えられている。横穴式石室から銅鏡・金銅製装身具・朝鮮系冠帽・馬具・刀など多くの副葬品が発掘されている。



 米原市顔戸の日撫(ヒナデ)神社。神功皇后戦勝祈願復員の時、お礼として建立された。そのため歴代天皇の厚い崇拝があり、少毘古名命(スクナヒコナノミコト)、息長宿禰王、そして神功皇后の子である応神天皇が祀られている。米原市長沢の福田寺(フクデンジ)は、古代に息長氏が創立した息長寺が始まりである。このように息長氏は湖北に大きな力を持ち、和珥氏や安国造と共に近江を代表する豪族であった。そして多くの天皇に妃を出しているのだが、その密接な関係にも関わらず政治の表舞台には登場しない。その系譜と共に謎の古代豪族とされている。


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