近江史を歩く

45.湖北己高山と観音の里(長浜市)



 
 湖北の東にそびえる己高山(コダカミヤマ)は近江国の鬼門にあたり、古代からの霊山、修行の場であった。奈良時代には白山信仰、平安期になると比叡山天台宗の影響を強く受け、観音信仰を基調とする独自の「己高山仏教文化圏」を構築した。修験道(シュゲンドウ)の開祖・役行者(エンノギョウジャ)、白山信仰を開いた泰澄(タイチョウ)、行基(ギョウキ)、最澄(サイチョウ)など、名立たる僧侶が己高山で修行したといわれている。己高山の寺院は、時代の推移や明治の廃仏毀釈とともに次々と無住あるいは廃寺となっていった。多くの仏像や寺宝は村人の手で麓の古橋に移された。


 
 現在は己高山山麓古橋に位置する鶏足寺は、もともと己高山の山上にあった。行基によって創建されたが、最澄によって再興されたとされる。伝説によると、最澄が己高山に登った時、鶏の声を聞き、その足跡をたどると山頂の池で白山白翁に出会う。最澄はそこで寺の再建を誓い、己高山・鶏足寺としたという。「鶏林」は新羅の別名であり、行基・最澄ともに渡来系集団に関わっている。観音信仰のルーツにも興味深いものがある。



 観音菩薩は現世の苦難を救済すると考えられた。泥まみれで働く農民たちの切なる願いは、けっして思弁的な仏教の教義ではない。小さな村堂につつましく安置されている観音は、村人たちによって大切に保存されてきた。己高山という神聖な山を中心に一大仏教文化圏が花開いた。これらの寺々の中心地にあった古橋は、「近江のまほろば」と呼ばれている。敦賀や若狭に渡ってきた渡来人たちの定住の場所であったのかもしれない。そこに伝えられたのは、製鉄技術などの先進技術だけではなく、仏教や仏像という先進文化でもあった。湖北地方の美しい仏像を今に残している。



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