近江史を歩く

38.近江の芭蕉(大津市義仲寺)



 
 芭蕉が初めて琵琶湖の美しい風景に接したのは、京で活躍していた歌人・北村季吟を訪ねた時のこと。鈴鹿峠を越えて目のあたりにした、絵のような湖。芭蕉は、1644年に伊賀上野に生まれる。10代後半頃から俳諧を始め、近江野洲出身の北村季吟に教えを受けた。29歳で江戸へ。俳諧を文学の境地へと高める。37歳の時、深川村に隠棲。深川の住まいに門人から贈られたのが「芭蕉」。名の由来である。


 
 1689年、有名な「奥の細道」の旅を終えた後、芭蕉は2年近くを近江で暮らす。芭蕉の思索は「軽み」の境地へと深まりを見せていく。「行く春を 近江の人と 惜しみける」。唐崎を訪れ、船遊びを楽しんだ時の歌である。石山寺の奥、国分山中に小さな庵が立っていた。名を幻住庵という。3ヵ月余り滞在したこの庵は、1991年に復元されている。膳所にある義仲寺無名庵などにも滞在した後、1691年秋には江戸へ戻る。



 1694年6月、膳所にやって来た芭蕉は、義仲寺無名庵に1ヶ月ほど滞在している。そしてその2ヵ月後、無言のうちにその義仲寺に帰ってくることになる。9月より芭蕉の健康は急速に悪化した。10月8日夜更け、看病中の呑舟に最後の句を代筆させた。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」。12日午後4時、芭蕉は大坂南御堂前花屋仁右衛門宅で51歳の生涯を閉じた。遺骸は川舟で伏見から大津へ運ばれ、義仲寺にて木曽義仲に並んで埋葬された。芭蕉の到達した「軽み」の境地。嘆きに満ちた人生を、微笑を持って乗り越えていくたくましさがそこにはある。


ページ先頭へ 前へ 次へ ページ末尾へ