近江史を歩く

28.和中散本舗(栗東市六地蔵)



 
 旧東海道の草津宿と石部宿のほぼ中間に、梅の木村という場所がある。江戸時代には「間の宿 (アイノシュク) 」として栄え、参勤交代の諸大名をはじめオランダ商館使節や伊勢参宮の人々など多くの旅人が往来した。 現在の栗東市六地蔵である。江戸時代、ここに大きな梅の樹があり、その木蔭で道中薬が売られた。この薬を「和中散」といい、同業者が5軒あった。本家の屋号を是斎(ゼサイ)と称した。是斎家(大角家)は、京都の名医の娘を娶(メト)った際、引き出物として製薬法を伝授され、売薬を始めたという。現在、国の重要文化財「旧和中散本舗」が残っている。


 
 「和中散」は、胃痛や歯痛などに効く薬である。1611年、野洲の永原御殿に滞在中の徳川家康が腹痛を起こし苦しんだ。典医が持ち帰った薬を服したところ、たちまちにして治った。喜んだ家康は、直々にその薬に「和中散」という名を与えたのが由来とされる。その後、「和中散」は広くその名を知られるようになる。近江名所図会にも東海道筋の名所として紹介され、旅人がしばしの休憩に「和中散」を喫する姿が描かれている。江戸後期には、シーボルトもここを訪れている。



 現在の建物は寛永年間(1624〜)に建てられたものである。 内部は店舗、製薬場、住居部分からなる。客を座敷に上げ、脇に備えられた茶釜で湯を沸かして振る舞い、梅の木茶屋とも呼ばれていた。仕事場には、木製の動輪や歯車の付いた製薬用石臼が、昔のままの姿で保存されている。ここで薬草を細かく切り、すり潰し、さらに石臼で引いて、粉薬を作っていたのである。「大辞林」によると、「和中散」とは、「日本で経験的に用いられている生薬処方。江戸時代の売薬の一つ。枇杷(ビワ)の葉、縮砂(シユクシヤ)、桂枝など九種類の生薬より成る。食中(アタ)りの際に用いられる」とある。



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