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26.朝鮮人街道(野洲〜彦根)
27.消えた銅鐸の謎(野洲市大岩山)
28.和中散本舗(栗東市六地蔵)
29.雨森芳洲と誠信外交(長浜市高月町雨森)
30.聖武、その夢の跡(甲賀市信楽町)
31.石塔寺石塔のルーツ(東近江市石塔町)
32.百済滅亡と鬼室集斯(日野町小野)
33.天智天皇と大津遷都(大津市錦織遺跡)
34.鉄砲伝来と国友村(長浜市国友町)
35.石山寺と平安女流文学(大津市石山寺)
36.治水の先覚者藤本太郎兵衛(高島市新旭町)
37.青い目の近江商人(近江八幡市)
38.近江の芭蕉(大津市義仲寺)
39.安羅伽耶の里(草津市安羅神社)
40.継体天皇の誕生(高島市)
41.湖北の古代豪族息長氏(米原市)
42.中世の自治村落「惣」(長浜市菅浦)
43.花の生涯・井伊直弼(彦根市)
44.京極氏は清滝にかえる(米原市)
45.湖北己高山と観音の里(長浜市)
46.近江古都幻想(草津市)
47.秀吉の五奉行・長束正家(甲賀市水口城)
48.邪馬台国近江説(守山市伊勢遺跡)
49.六角氏と観音寺城(近江八幡市安土町)
50.最澄と比叡山(大津市坂本)
37.青い目の近江商人(近江八幡市)
1905年2月2日、一人の米国人青年が寒風吹き荒ぶ近江八幡駅に降り立った。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ、24歳。滋賀県県立商業学校(現八幡商業高校)の英語の教師として、異国の地に一人赴任した。1908年、 京都で建築設計監督事務所を開業。建築家として活動。日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けた。一方で、ヴォーリズ合名会社(後の近江兄弟社)を創立し、「メンソレータム」を広く普及させた実業家でもあった。その事業で得た資金をもとに、結核療養所(現ヴォーリズ記念病院)や近江兄弟社学園を設立した。
太平洋戦争の始まる1941年、日本国籍を取得する。妻・一柳満喜子の姓をとり、一柳米来留(ヒトツヤナギ メレル)と名乗った。「米来留」とは「米国より来りて留まる」という意味である。メンソレータムは、米国メンソレータム社が19世紀に開発したもの。近江兄弟社がライセンス(商標・輸入・販売権)を保有し、製造・販売を行い全国に普及した。現在は、ロート製薬がこれらのライセンスを取得し販売している。近江兄弟社は、「メンタム」を販売。ヴォーリズは、近江商人発祥地である近江八幡を拠点に活動したことから、「青い目の近江商人」と称された。
1958年、近江八幡市名誉市民第一号となるが、その6年後に84歳で死去。ヴォーリズによる建築物は、近江八幡市内に20軒余りが現存。町長リコール問題にまで発展した、豊郷町立豊郷小学校の旧校舎もヴォーリズの設計である。階段の手摺りには、イソップ寓話「兎と亀」をモチーフとしたブロンズ像による装飾があり、当時としては珍しい鉄筋コンクリート構造の校舎であった。アニメ「けいおん!」で、主人公たちが通う架空の高校校舎と酷似しているところから、「軽音」のメッカとして、町のシンボルになっている。
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