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26.朝鮮人街道(野洲〜彦根)
27.消えた銅鐸の謎(野洲市大岩山)
28.和中散本舗(栗東市六地蔵)
29.雨森芳洲と誠信外交(長浜市高月町雨森)
30.聖武、その夢の跡(甲賀市信楽町)
31.石塔寺石塔のルーツ(東近江市石塔町)
32.百済滅亡と鬼室集斯(日野町小野)
33.天智天皇と大津遷都(大津市錦織遺跡)
34.鉄砲伝来と国友村(長浜市国友町)
35.石山寺と平安女流文学(大津市石山寺)
36.治水の先覚者藤本太郎兵衛(高島市新旭町)
37.青い目の近江商人(近江八幡市)
38.近江の芭蕉(大津市義仲寺)
39.安羅伽耶の里(草津市安羅神社)
40.継体天皇の誕生(高島市)
41.湖北の古代豪族息長氏(米原市)
42.中世の自治村落「惣」(長浜市菅浦)
43.花の生涯・井伊直弼(彦根市)
44.京極氏は清滝にかえる(米原市)
45.湖北己高山と観音の里(長浜市)
46.近江古都幻想(草津市)
47.秀吉の五奉行・長束正家(甲賀市水口城)
48.邪馬台国近江説(守山市伊勢遺跡)
49.六角氏と観音寺城(近江八幡市安土町)
50.最澄と比叡山(大津市坂本)
34.鉄砲伝来と国友村(長浜市国友町)
1543年、中国船が種子島に漂着。この船に乗っていたポルトガル人が伝えたのが「種子島」(鉄砲)。この時の領主種子島時堯(トキタカ)は、15歳の好奇心旺盛な少年。鉄砲2挺を譲り受け、その内の一挺を分解させ島の鍛冶屋に複製を作らせた。なんと、種子島は製鉄の島だった。その後、堺の商人により鉄砲の製造技術は、根来・雑賀・堺、そして国友に伝わる。江州国友は古くから刀鍛冶が有名な土地。1544年、将軍足利義晴の命で作ったのが国友鉄砲鍛冶の始まりである。
鉄砲の普及はそれまでの戦法を大きく変化させ、戦国時代を終結させた。国友は、信長・秀吉・家康の庇護のもと火縄銃生産の地位を確立し、江戸時代には幕府直轄の銃砲製造所となった。「国友」の名は単なる地名ではなく、国友の工人「国友鍛冶」、国友で生産される銃「国友筒」などのブランド名となる。鍛冶銘は「国友」姓で統一され、村がいわば一つの工業団地となった。堺の銃が豪華な装飾を施したのに対し、国友の製品は「機能美的」に洗練された秀作が多い。しかし太平の世になると、さすがに鉄砲の受注は少なくなり、鍛冶師たちは金工彫刻や花火などに活路を見出していった。
江戸時代後期、活気を失いかけた国友に「東洋のエジソン」と称された国友藤兵衛一貫斎が登場する。国友一貫斎は秘伝の鉄砲製法を公開し、気砲(空気銃)や反射望遠鏡など数々の発明を重ね、国友の技術と知識を発展させていった。元々幕府御用達の鉄砲鍛冶だった一貫斎だが、江戸で反射望遠鏡を見るなり、さっそく自作の反射望遠鏡を作り上げる。それを世界最高水準の精度にまで改良し、月・土星や太陽の黒点などの天体観測を行った。日本天文学発祥の地とも称される国友村。現在、その鉄砲技術は、長浜八幡宮の祭りの曳山(山車)や長浜仏壇の金具に生かされている。
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