近江史を歩く

19.蝉丸伝説と逢坂山(大津市蝉丸神社)



「これやこの 行くも帰るも別れては しるもしらぬも あふさかの関」
百人一首に出てくる蝉丸の歌である。蝉丸は、実在すら不明の伝説上の人物である。



 世阿弥作とされる能「蝉丸」によれば・・・。蝉丸は醍醐天皇の第四皇子として生まれるが、幼少の頃から盲目であった。天皇は、蝉丸を逢坂山に捨てるよう命ずる。 捨てられた蝉丸は、琵琶を抱き、杖を持ち、逢坂山の関に住む。蝉丸の姉、第三皇女逆髪は、髪が逆立つ奇病。弟蝉丸を訪ね、やがて琵琶の音に導かれて再会を果たすことになる。



 逢坂の関は、近江と山城との境に設けられた古代の関所である。関蝉丸神社縁起によれば、平安初期に逢坂山の坂の守護神として、上社にサルタヒコ、下社にトヨタマヒメが祀られた。併せて「関の明神」とも呼ばれる。つまり、境を守る塞の神である。
 蝉丸の住む逢坂山の峠は、境界の場であり、中世史でいうところのアジール(無縁の場)である。そこには無縁の人々がたむろしていた。異形なる人々の群れ。盲目の芸能者集落。呪術者・琵琶法師・遊女・「癩者」と呼ばれた人々・様々な障害を持った人たち。道行く人々に芸能を披露し、喜捨を乞う。煌(きら)めくようなアジールの世界である。



 関の明神と合祀されて、ここに祀られた蝉丸は、諸国を流浪する芸能民たちの守護神となる。あるいは話は逆で、無縁の人々が生み出した偶像が、盲目の琵琶法師「蝉丸」であったのかもしれない。



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