近江史を歩く

10.古高俊太郎と池田屋事件(守山市古高町)




 幕末、尊攘派の情報を得た新選組は、志士たちを襲撃し殺害。この時、長州の桂小五郎は、間一髪で難を逃れるという有名な話。いわゆる池田屋事件である。
 事の起こりは、京都四条で骨董商を経営する枡屋(古高俊太郎)の逮捕からである。古高は実は尊攘派の志士で、屋敷にはおびただしい武器が隠されていた。この古高を捕らえた新選組は、すさまじい拷問の末、古高を自白させた。そして、池田屋の襲撃となる。



 守山市古高町、ここが古高の出身地である。俊太郎が生まれた頃には父古高周蔵は住居を大津に移していた。父の死後、俊太郎がその跡を継ぎ、偽装のため表向き骨董商の店を開いていた。父周蔵は勤皇思想の持ち主であったと思われる。大津には梅田雲浜の私塾「湖南塾」があり、その塾に俊太郎は通っていた。梅田雲浜は、京都に移り、やがて安政の大獄により、投獄され、江戸で獄死する。
 俊太郎は師雲浜と父の勤皇思想を受け継ぎ、桝屋喜右衛門の養子となり潜行して倒幕運動を展開していた。
 池田屋事件のその後であるが、京都から追放されていた長州は、「今こそ京都へ上れ」と京都へ攻め上り、禁門の変を起こし、薩摩・会津と戦う。長州は敗北の末、長州討伐戦争で、徹底的に追い詰められる。しかし、これを契機に新しい歴史が始まることになる。
 守山市古高町には、古高俊太郎の顕彰碑が建っている。



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