近江史を歩く

05.念仏弾圧事件(住蓮・安楽墓)




 京都市左京区鹿ヶ谷にある安楽寺。この寺が住蓮安楽事件の「安楽」と知ったのは最近の事である。本堂に向かって右側に住蓮・安楽、松虫・鈴虫坐像が安置されている。
 松虫鈴虫姉妹は、後鳥羽上皇に仕えその寵愛を受けていた。清水寺参詣の折、法然の説法を聞いた松虫鈴虫は、念仏の道へと思いを定めた。そして、後鳥羽上皇の熊野参詣の留守中に、法然の弟子住蓮と安楽に剃髪得度を願い、これをかなえる 。これを知った後鳥羽上皇は烈火の如く怒り、念仏門への弾圧が行われる。



 住蓮は近江の馬淵西の岡にて、安楽は京都六条河原で斬首される。京都にいた住蓮の母は死罪と決まった住蓮に一目会いたいと馬淵を目指すが、途中で斬首されたのを知り、自らの命を絶つ。守山市閻魔堂近くに住蓮の母の墓がある。住蓮と安楽の墓は、近江八幡市千僧供町の田園地帯にポツンとある円墳の上に作られている。
 松虫鈴虫は安芸の国に逃れ、念仏三昧で住蓮・安楽の菩提を弔いながら亡くなっていく。念仏門に対する迫害はさらに法然にまで及び、法然は75歳で讃岐に、弟子親鸞は越後に流罪となる。これを、「建永の法難」という。
 しかし権力による弾圧は、念仏の教えを民衆の中に普及させる一つの契機になったのかもしれない。

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