近江史を歩く

06.信長のルーツ津田氏(津田庄)




 近江八幡市南津田町に津田親眞を顕彰する石碑が建立された。曰く、ここが織田信長のルーツであると。
 信長は、織田家の嫡流以外の家には出身地の津田姓を名乗らせたという説がある。例えば津田信澄である。若き日、信長は家督争いで弟信行を殺害している。信澄は、この信行の息子である。近江国大溝城主であった津田信澄は、本能寺の変のあと、明智光秀の娘を娶っていたために信長の子信孝に殺害される。信長の一族で、津田姓を名乗るのは、この信澄以外にも多くいる。



 南津田町の人たちは、なぜ織田信長のルーツだと言うのか。平清盛の孫資盛は平家の都落ちの際、愛人を近江の津田の庄に隠させた。資盛の子を身ごもっていた女は、津田の庄の土豪に求婚され妻となる。資盛の子も共に津田の家に入り育つ。この少年が津田親眞であり、やがて織田神社の神官の養子となり織田の姓を名乗り、織田一族の祖となる。まわりくどいが、要するに織田のルーツが平家である必要があったのである。
 織田信長の力の源泉は、その圧倒的な経済力である。そして想像力をたくましくするなら、近江を中心とした影のネットワークの中枢部に津田一族がいたのかもしれない。近江商人、甲賀忍者、修験者、木地師。いけない、妄想が過ぎるか・・・



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