近江史を歩く

01.急がば回れ(矢橋街道)



 
 草津から南草津へ旧東海道を進んでいくと、途中で道標が見える。直進すれば瀬田の唐橋、右へ曲がると矢橋道に入る。「勢多へ廻ろか矢橋へ下ろか、ここが思案のうばがもち」。道標の横に案内板がある。街道の賑わいと草津名物「うばがもち」屋の絵が描かれた浮世絵である。この店は200年前から続く瓢箪屋さん。隣で作られていた竹根鞭はいろいろな用途に使われ、ステッキにもなった。あのチャップリンのステッキが草津産であると、確かどこかに書いてあったのだが…。


 
 かっては、京都に向かうには、陸路よりも、矢橋の港から船に乗りまっすぐ対岸の大津へ向かう方が近くて便利であった。右へ折れ、矢橋道を進むと、矢橋の集落に着く。昔は旅籠が立ち並び、多くの人が行き交った。
 さて、港だが。今はその面影もなく、矢橋帰帆島という人工の島が作られている。イナズマロックフェスティバルの会場にもなっている。
  矢橋の集落には昔の賑わいはなく、わずかに常夜灯の跡がその面影を伝えている。芭蕉の句碑が立っていた。「菜の花や みな出はらひし 矢走舟」。
 ところで、琵琶湖には比叡おろしという比叡山から吹き下ろされる突風が吹く。今も、JR湖西線は風のために運休になることがある。船は危険を伴うのだ。そこで、「もののふの 矢橋の舟は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」となる。急ぐなら遠回りでも陸路を行けということ。室町時代の連歌師宗長の作と言われ、「急がば回れ」の語源となる。直進指向の私にも、戒めの言葉である。



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