近江史を歩く

03.良弁杉(金勝寺)




 湖南の地にある金勝山は、その昔、金勝三千坊・阿星山三千坊と呼ばれ、比叡山に匹敵するくらいの巨大な法域であった。その中の金勝寺はかっては狛坂寺と呼ばれ、奈良の都の鎮護寺であった。聖武天皇が良弁に命じて創立したとされる。良弁の伝記には不明なところが多く、一説では金勝山の麓で生まれた百済からの渡来人の子孫であるといわれている。



 東大寺四月堂北側に、小さなお堂がある。ここに、東大寺初代別当である良弁像が安置されている。秘仏として毎年12月16日に公開されている。威厳のある端正な顔は、どことなく外国人的でもある。近くの二月堂の下にそびえているのが、「良弁杉」と呼ばれる大木である。伝説では、良弁は幼児の時に鷲にさらわれ、奈良春日山の大杉の根元で発見される。ちょうどそこへ義淵僧正が通りかかりその赤子を拾い上げ、弟子にして養育した。これは、歌舞伎の演目にもなっている。この杉の木が「良弁杉」と呼ばれるものである。
 ところで、聖武天皇の大仏造立は金勝山の南麓、紫香楽宮(滋賀県甲賀市信楽町)で始められている。大仏建立の功績により良弁は東大寺初代別当となる。
 金勝は金粛や金精とも書かれ、金属を扱う人々の存在を連想させる。金勝族という技能集団がいたところから名づけられたともいわれる。金属との関わりは、良弁にも色濃くつきまとっている。


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