近江史を歩く

17.新羅顔の狛坂磨崖仏(栗東市金勝山)




 阿星山から田上山まで湖南アルプスが続く。その中央、金勝(こんぜ)山系は、琵琶湖が臨まれる絶好のハイキングコースである。栗東市金勝寺から大津市桐生へ抜ける道を行く。平城京造営の時に良材が切り出され、巨石が露出している。近代の植林事業で、緑が戻ってきた。途中に、「茶沸かし観音」と呼ばれる石仏がある。鎌倉時代の作らしく、参拝者への湯茶の接待が名前の由来。さらに進むと桐生への中間地点付近で、狛坂磨崖仏(こまさかまがいぶつ)に出会う。



 大きな花崗岩の磨崖面に、阿弥陀如来坐像を中尊として、観音・勢至の両脇侍を刻み、その周囲に12体の仏像が彫られている。新羅様式の影響が見られ、渡来系工人の作と考えられる。しかし正直、こんな所になぜと思ってしまう。



 このあたりは、狛坂寺の伽藍があった所である。磨崖仏の向かい側に大規模な石垣や礎石が残ったままになっている。「狛坂寺縁起」によると、興福寺の僧願安によって平安時代に建立された金勝寺が、女人結界であったので、別に狛坂寺が建てられたとされる。
 しかし、近年の発掘調査では、白鳳期(645〜710年)の瓦が発見され、創建はさらにさかのぼると見られている。金勝寺の創建自体、奈良時代に聖武天皇の勅願を受けた良弁によるものらしい。狛坂寺のあった場所には、平安期以前にすでに伽藍があり、目の前の磨崖仏もこの時に作られたものかもしれない。
 山岳仏教は、想像を超えた世界である。それにしても、統一新羅の仏像彫刻の影響が見られるこの如来像。「まごうことなき新羅顔」なのだそうだ。



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