近江史を歩く

13.鉄は国家なり(木瓜原遺跡)




 立命館大学が滋賀県草津にキャンパス用地を造成しようとした時、発見されたのが木瓜原遺跡。遺跡周辺がボケの原生林だったことからこの名がついた。学術的にも貴重な製鉄遺跡で、現在は一部がグランドの地下に保存されている。
 「鉄は国家なり」と言われる。古代においても然り、鉄を掌握することは権力を掌握することでもあった。その鉄の一大生産地が近江。日本で鉄が生産されるのは、6世紀頃。それ以前は、朝鮮半島の伽耶地域から手に入れていたようだ。当然、地理的に近い九州地域は鉄を手に入れやすい。逆に鉄を生産していない大和が、鉄を確保するために強力な政治権力が必要としたのは皮肉なことである。



 多くの渡来人が住み着いた近江では、朝鮮半島からやってきた工人たちが鉄生産を開始したと考えられる。木瓜原遺跡の近くにも、源内峠遺跡(大津市瀬田)、野路小野山遺跡(草津市野路町)などの大規模な遺跡があり、立命館大から滋賀医大、図書館、美術館、龍谷大と続く瀬田丘陵は古代の一大製鉄コンビナートだったのだ。通常は燃料となる薪を求めて、製鉄炉は移転するのだが、この付近は原生林が豊富で、他の場所に移ることなく鉄が生産されたようだ。
 これら湖南地方の製鉄は7世紀のもので、近江朝の時代と一致するのは興味深い。湖西地方のものは8世紀奈良時代、9世紀に入ると近江の製鉄は急激に衰退する。
 砂鉄を材料とするのは、後の時代で、近江でも材料は鉄鉱石であった。ある研究者の発表を聞いたが、そのまとめは衝撃的だった。「木瓜原遺跡の鉄鉱石の産地は、朝鮮半島北部・・・」



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