近江史を歩く

60.「冥途の飛脚」梅川(草津市)



 
 矢橋道を自転車で走った。鞭嵜神社前の民家。ここが梅川終焉地・十王堂跡。梅川は、近松門左衛門の名作『冥途の飛脚』のモデルとなった女性だ。大正時代、当時矢橋村の有志により熱心な研究がなされ、梅川の墓と見られる旧跡地が十王堂で発見された。梅川は、江州矢橋の地で五十有余年の日々を送ったといわれる。
 


 旧十王堂から矢橋道を琵琶湖の方向へ走っていく。狭い道を入っていくと、梅川の菩提寺・浄土宗清淨寺がある。「大阪淡路町の飛脚亀屋の養子忠兵衛は遊女梅川と恋仲になり通い詰めた。金に詰まった忠兵衛は三百両の封印切りの大罪を犯し、手に手を取って欠落するが、二人ながらに捕らえられた。忠兵衛は、大阪千日前で刑場の露と消え、梅川は江州矢橋の十王堂で、五十有余年の懺悔の日々をおくり、ここ浄土宗清淨寺に葬られたと伝えられている」
 


 門をくぐると、すぐ左に梅川の墓がある。享年八十三歳「梅室妙覚信女」。近松門左衛門は、この作品を実際に起きた出来事をもとにして書き上げた。飛脚仲間の固い掟を破った忠兵衛。社会に背を向けた二人の絶望的な逃避行。運命にもてあそばれる、弱くはかない人間模様。人生の終焉に、ここ近江の地で、梅川の心の中をよぎったものは何だったのだろうか。


ページ先頭へ 前へ 次へ ページ末尾へ