近江史を歩く

55.小谷落城と浅井三姉妹(長浜市湖北町)



 
 織田信長の妹・お市が近江国小谷城・浅井長政に嫁いだのは、1567年のこと。1569年には、長女・茶々が誕生している。1570年、越前の朝倉攻めに向かった織田信長軍の背後から、信長の妹婿・浅井長政は反旗を翻した。命からがら逃れた信長は、同年、近江の浅井長政を攻める。「織田・徳川連合軍」対「浅井・朝倉連合軍」の戦い。姉川の合戦と呼ぶ。浅井長政は小谷城へ敗走。この年、次女・初が生まれている。
 

 
 この頃、足利15代将軍・義昭は全国各地へ手紙攻勢をかけ、織田信長包囲網を構築していった。戦線は膠着する。1572年、信長は5万の大軍を率いて、小谷城の目と鼻の先に在る虎御前山に進軍。越前から朝倉軍救援。甲斐の武田信玄も、信長・家康の領国へ侵攻した。1573年。武田信玄没。足利義昭、挙兵失敗。放逐。さらに、織田軍は朝倉氏の居城一乗谷城を攻め、これを焼き払った。朝倉氏滅亡。越前を制圧した信長は、虎御前山の本陣へ帰還すると、全軍に小谷城の総攻撃を命じた。この年、三女・江が生まれている。
 


 小谷城本丸はしばらく持ちこたえ、長政はその間に嫡男万福丸を城外へ逃がした。さらにお市と3人の娘(浅井三姉妹)を織田軍に引き渡し、長政は自害する。北近江の戦国大名浅井氏は滅亡。信長の浅井氏への仕置きは苛烈を窮めた。浅井長政・久政親子の首は京で獄門。万福丸は探し出されて関ヶ原で磔。本能寺の変が起こるのは、9年後、1582年のことである。生き延びた浅井三姉妹は、「近江浅井」の命脈を継がんがため、それぞれの人生を歩むことになる。茶々、豊臣秀吉側室淀殿。大坂夏の陣で自害(1615年)。江、徳川秀忠正室。1626年没。歴史を見届けた初は、1633年没。夫・京極高次の居城だった若狭・小浜に眠っている。


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