近江史を歩く

59.茜さす紫野行き(東近江市)



 
 東近江市、船岡山。この辺りの田園地一帯は、古代「蒲生野」と呼ばれた。668年(天智天皇7年)、ここで薬狩の際に詠まれたのが次の歌。「茜さす 紫野行き 標野(シメノ)行き 野守は見ずや 君が袖振る」(額田王)。「紫草(ムラサキ)の 匂へる妹(イモ)を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも」(大海人皇子)。
 


 額田王(ヌカタノオオキミ)の故郷は、一説によると蒲生野の鏡山付近だとされる。鏡神社の祭神「天日槍(アメノヒボコ)」は、渡来した新羅王子。日本書紀には「近江国の鏡村の谷の陶人(スエビト)は、天日槍の従人なり」とある。鏡王の娘とも言われる額田王は、大海人皇子との間に十市皇女(トオチノヒメミコ)を儲ける。その後、額田王は大海人の兄・天智天皇の妃となり、大海人のもとを去る。
 


 昔の恋人・大海人が大胆にも手を振ってくる。恋してはいけない人妻だというのに。後の壬申の乱を連想させる危険な三角関係。ところが歌が詠まれた頃、十市皇女と天智天皇の子・大友皇子の間には皇子(孫)が生まれている。年齢からしても、この相聞歌は宴席での座興ではないかと言われている。それでも、蒲生野の美しさは多くのロマンを掻き立てずにはいられない。危険な香りを漂わせながら。


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