近江史を歩く

37.青い目の近江商人(近江八幡市)



 
 1905年2月2日、一人の米国人青年が寒風吹き荒ぶ近江八幡駅に降り立った。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ、24歳。滋賀県県立商業学校(現八幡商業高校)の英語の教師として、異国の地に一人赴任した。1908年、 京都で建築設計監督事務所を開業。建築家として活動。日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けた。一方で、ヴォーリズ合名会社(後の近江兄弟社)を創立し、「メンソレータム」を広く普及させた実業家でもあった。その事業で得た資金をもとに、結核療養所(現ヴォーリズ記念病院)や近江兄弟社学園を設立した。



 太平洋戦争の始まる1941年、日本国籍を取得する。妻・一柳満喜子の姓をとり、一柳米来留(ヒトツヤナギ メレル)と名乗った。「米来留」とは「米国より来りて留まる」という意味である。メンソレータムは、米国メンソレータム社が19世紀に開発したもの。近江兄弟社がライセンス(商標・輸入・販売権)を保有し、製造・販売を行い全国に普及した。現在は、ロート製薬がこれらのライセンスを取得し販売している。近江兄弟社は、「メンタム」を販売。ヴォーリズは、近江商人発祥地である近江八幡を拠点に活動したことから、「青い目の近江商人」と称された。



 1958年、近江八幡市名誉市民第一号となるが、その6年後に84歳で死去。ヴォーリズによる建築物は、近江八幡市内に20軒余りが現存。町長リコール問題にまで発展した、豊郷町立豊郷小学校の旧校舎もヴォーリズの設計である。階段の手摺りには、イソップ寓話「兎と亀」をモチーフとしたブロンズ像による装飾があり、当時としては珍しい鉄筋コンクリート構造の校舎であった。アニメ「けいおん!」で、主人公たちが通う架空の高校校舎と酷似しているところから、「軽音」のメッカとして、町のシンボルになっている。


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